今日はクリスマスです。キリスト教にとってきょうは特別な日です。ということで、以下、新井秀校長の特別寄稿です。是非ご覧ください。
聖書のペテロが神殿で説教をした箇所から…。ここでペテロが強調していることは次の三つです。
第一は、「美しい門」で乞食をしていた足の悪い男を癒したのは自分ではなく、復活のイエスであること、
第二は、あなたがたは無知の故にイエス・キリストを十字架上で殺してしまったのであり、
第三は、だから、今こそ自分の罪が消し去られるように、悔い改めて神の元に立ち返りなさい、という3点でした。
そこで今日は特に、「悔い改める」ということについて一緒に考えてみたいと思います。この悔い改めるとはギリシャ語で「メタノイア」と言います。皆さんは既に〈隣人愛〉を意味する校訓のアガペーというギリシャ語を知っていますから、これで二つ目のギリシャ語を覚えたことになります。このメタノイアという言葉の元々の意味は「向きを180度変えること」です。今まで歩んできた人生の向きを180度変えることです。これが〈悔い改める〉ことです。バプテスマのヨハネもイエス様も、伝道の第一声は「悔い改めて福音を信ぜよ!」というメッセージでした。
既に亡くなった人ですが、島秋人(しま・あきと)という死刑囚であり、歌人でもあった人の話をします。これは本名ではありません。いわばペンネームです。彼は1934年生まれです。満州で生まれ育ち、終戦後新潟に戻ってきました。母は疲労と栄養失調のために結核に罹り、早くに亡くなりました。秋人さんも体が弱く、小さい頃から結核やカリエスに悩まされました。家は貧乏で食べるものにも事欠く状態でした。秋人さん25歳の時です。どうしても空腹に耐え切れず農家に泥棒に入りました。農家なら何か食べるものがあるに違いないと考えたのです。ところが、玄関で一家の主人に見つかり、騒がれたので殴りつけ気を失わせます。部屋に入ると奥さんがいて大声で「助けてー!」と叫ぶので、首を絞めて殺してしまいました。僅かな現金2,000円と時計を盗んだだけした。でも、捕らえられ、裁判にかけられ、最終的に死刑が確定しました。
いつ死刑執行になるのか怯える牢屋で、一人暮らす中で、彼は自分の短い人生をふり返りました。何にも良いことが無かった。小さい頃からいじめられてばかりだった。誰からも一度も褒められたことなんかなかったなー、とふり返りました。その時、中学校で美術を教えてくれた先生を思い出しました。この先生は授業中、「お前の絵は決してうまくないが、構図がいい」と褒めてくれた先生でした。秋人はこの先生に手紙を書きました。すると返事が届き、そこには手紙と共に先生が着ていた古いシャツが入っていました。「寒い時には、先生を想い出してこれを着なさい」、と書いてありました。また先生の奥さんからは短歌で励ましの言葉が書かれてありました。自分の人生でたった一人、こんな自分を褒めてくれた先生がいた、そう思うと秋人にも生きる希望が湧いてきました。彼も短歌を作り始めたのです。やがて彼の短歌はいくつかの雑誌に発表され、多くの人々の心に共感を生み、心を癒しました。
彼はこの美術の先生について「先生のたった一言の褒め言葉が私の心を救い、私の人生を変えた。私のような愚か者でも、7年間という長い月日に、少しは人が認めてくれる“うた”を詠むことが出来た。ありがたいことです」と書いている。また、「極刑と 決まりしひと日 寂しくて、旧師の古き、シャツまといたり」という歌を残しています。遂に死刑が確定した。あまりの悲しみの中で、あの美術の先生の古いシャツを着て、自分の人生を悔い、先生への感謝の涙に暮れたのでしょう。
教師という仕事は何と厳粛なものなのか、たった一言で人の一生を左右するようなものなのか、と改めて襟を正される思いです。同時に、人が心底反省し、悔い改めて新しい人生をやり直すことがどんなに大切なのかも、改めて教えられました。
皆さんは今何処にいて、何処に向かって歩んでいますか?その方向は間違ってはいないでしょうか?もし間違っていると思ったら、メタノイア(悔い改めて)、愛なるイエス・キリストを仰いで、新たな歩みを始めませんか?それが、イエス様がこの世に遣わされたクリスマスの目的だったのですから。(校長 新井 秀)