詩編81編から三つのことを話したいと思います。
第一は、2節から3節に①「喜び歌い」、②「喜びの叫びをあげよ」、
③「ほめ歌を高くうたい」と繰り返されていることです。キリスト教の
集会には讃美歌が欠かせません。日曜日の礼拝は勿論、結婚式
でも、お葬式でさえも、声高らかに讃美歌を歌います。心から神様
・イエス様を褒め称え感謝するためです。
神様・イエス様への感謝から詩が生まれ、曲が付けられ、皆が大
声で賛美します。仏教と大きく異なる点の一つです。しかも今日の
聖書によれば、太鼓・琴・竪琴・角笛などあらゆる楽器を演奏しな
がらの賛美です。現在、多くの教会ではオルガン伴奏が主流です
が、神様からいただいたあらゆる楽器を演奏して神様・イエス様を
褒め称えることは素晴らしいことだと思います。20年程前、私は日
本の地球の裏側にある南米のチリに2週間ほど出張しましたが、
出席した教会の礼拝がまさにそうでした。ギター・マンドリン・笛・タ
ンバリン・トランペット・・・貧しい暮らしの中で、持っている楽器を総
動員して全員で神様を賛美している姿に、とても感動しました。
第二は、7節の「わたしが、かれの肩の重荷を除き、籠を手から取
り去る」です。これはユダヤ人がエジプトで奴隷として酷使されてい
た時のことが下敷きになっています。神様は彼らの苦しみを見、助
けを求める声を聞き、「肩の重荷を除き、籠を手から取り去る」と約
束し、実行されました。籠と訳されている言葉は「もっこ」とも訳せる
言葉です。「もっこ担ぎ」などと言う古い道具です。縄と紐と竹で作り、
2本の棒を通して二人で担いで物を運ぶ道具です。神様はモーセを
用いて、彼らをエジプトから解放し、約束の地へ導いて下さったので
す。こういう感謝があるから、最初に述べた「喜び歌い」・「喜びの叫
びをあげ」・「ほめ歌を高くうたう」ことが自然と出来るのです。
第三は、17節の「主は民を最良の小麦で養ってくださる。わたしは岩
から蜜を滴らせ、あなたを飽かせるであろう」です。この詩の結論で
す。神様に聞き従う(聴従)人には、神様は最良の小麦や蜜の滴りで、
十二分に報いて下さるという約束です。
皆さんは「奇跡の人」という映画や演劇を知っていますか?三重苦(見
えない・聞こえない・喋れない)の人生を生きたヘレン・ケラーを育てた
家庭教師、アニー・サリバン(アン・サリバン)先生のことです。サリバン
はアイルランドからアメリカに移住した貧しいい移民の子でした。幼くし
て母に死に分かれ、その後酒乱の父に見捨てられ、たった一人の弟に
も死に分かれ、その上目が悪くなり、余りの悲しさから、世をはかなみ
自殺を決意した程でした、しかしバーバラという神父の暖かい導きを受
け、信仰を持ち始め、光と希望への道が開かれてきました。しかし、そ
のバーバラ神父も他国へ転勤になり、再び光も希望もない暗黒へと戻
されます。でも勉強して何とか社会に貢献したいという希望を捨てませ
んでした。
そうです!神様は必ず愛の眼差しで私たちを見ていて下さって、神様・
イエス様に聞いて従う者、寄りすがる者には、必ず良いもので報いて下
さるのです。
ある日病院に検査に来た役人の世話で、サリバンはパーキンス盲学校
に入学することができ、6年後には優秀な成績で卒業することが出来ま
した。更に、親切な新聞記者の助けで、目の手術にも成功して視力が回
復。当時6歳だった三重苦の少女、ヘレン・ケラーの家庭教師になり、そ
れ以来48年間、ヘレンをわが子のように、自分の妹のように愛し、泪と祈
りの内に育て上げたのでした。
これこそが「奇跡の人」です。ヘレン・ケラーがテンプル大学で博士号を受
けた時、サリバン先生もまた栄誉ある博士号を受けたのでした。
神様は、いつも私たちを愛の眼差しで見ておられ、神様に聞き従う者につ
いては、その助けを求める声に動かされ、溢れる恵みで応えて下さる方で
す。今日の詩編はそのことを私たちに教えてくれているのです。