今日は、十字架で死に、墓に葬られたイエス様が復活される場面です。3つのことをお話ししたいと思います。
- 第一は、死者の復活ほど信じ難いことはないということです。私は25歳の時に洗礼を受けてクリスチャンになりましたが、復活については暫く良く分かりませんでした。三浦綾子さんも『新約聖書入門』の中で、正直に「この世で何が信じられないといって、イエスの復活ほど信じられない事件はないかもしれない。実の話、私も復活を信じられない何年かがあった。洗礼を受けた時も、私は復活を信じたのではなく、十字架による自分の罪のゆるしを信じたのであった。いや聖書を読むと、使徒たちでさえそう簡単にイエスの復活を信じたのではないことがわかる」と書いています。今信じられなくても、そのまま心の中に納めておきましょう。動物の反芻のように、やがて思い出され素直に信じれれる時が来ると思います。
- 第二は、復活はキリスト教会にとって最も重要な事件であり、記念日であるということです。復活は聖書にあるように「週の初めの日の明け方」に発見されました。今教会では、毎週日曜日の朝ごとに礼拝を守っています。それはこの復活の出来事と日時に由来します。礼拝は心から神様に感謝し、喜びを表す時です。8節に「婦人たちは大いに喜び」とありますし、9節の「イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われた」の「おはよう」も、単なる挨拶ではなく、「喜びなさい」という意味です。教会の礼拝でも学校の礼拝でも、私たちは復活の場面を想像して喜こびに満たされた時を過ごしたいと願います。
- 第三は、復活なさったイエス様が最初にお会いになったのが、ペテロなどの直弟子ではなく、終始イエスの傍を離れなかった婦人たちであったことです。このように、婦人たちが最初に主が復活されえた知らせを受け、最初に復活の主にまみえたことは、まことにふさわしいことでした。彼女たちは決して逃げることなく十字架の下に立ち、主の埋葬に立ち会いました。そして今、愛の報酬として、最初に復活の喜びを知らされたのです。一般的に男性より女性の方が信仰が強いのでしょうか?
今から70年も前の出来事を紹介します。アメリカのニューオーリンズにマルゲリートというクリスチャンの女性がいました。孤児院の院長でした。クリスマスに近いある夜、孤児院のための寄付を得るべく町に出かけました、あるレストランへ入り、客たちに「身寄りのない子供たちに献金をお願いします」とお願いして回りました。すると突然酔っ払いのだみ声が聞こえました。「うるせーな!せっかく良い気持ちで飲んで食べているところへ、そんな不景気な面を出しやがって!これでも食らってさっさと消えうせろ!」と、いきなりビールのコップを投げつけました。コップはマルゲリータの顔に当り、血が噴き出しました。まわりは驚き、マルゲリータがどう出るかと静まり返りました。マルゲリータはハンカチを取り出し、傷口を押さえながら、砕け散ったコップの破片を拾い始めました。拾い終わると、にっこり笑ってその酔っ払いに言いました。「有難うございます!このコップは私への贈り物として頂きました。さて、身寄りのない子どもたちには何を頂けるのでしょうか」。一瞬唖然とした客たちも、先を争うようにマルゲリータにお金を差し出しました。気が付くと例の酔っ払いはどこにもいません。でも彼のいたテーブルには分厚い財布が残されていて、その表には「身寄りのない子どもたちへ」と赤く鉛筆で記されてあったということです。
今日の夫人たちや、マルゲリータにように、主にあって純粋で勇敢な者でありたいと願う者であります。今日の聖書に出て来る夫人たちから、私はそのことを教えられました。