今日は、鞭打たれて血だらけになっているイエス様が、更に兵士たちから侮
辱される悲しく辛い場面です。26節に「イエスを鞭打ってから、十字架につけ
るために引き渡した」とあります。ローマの鞭打ちは残酷な刑でした。受刑者
は上半身裸にされ、手を後ろに回されて、背中を半分に曲げたまま柱に縛られ、
鞭が当てやすい姿勢にさせられました。鞭は長い皮の紐で、そのところどころ
に尖った骨や鉛の小さな球が埋め込まれていました。十字架につけられる者は、
必ず鞭打たれ、体はずたずたにされ、炎症と出血で見るも無残な姿に変えられ
ました。多くの受刑者は、その苦しみ・痛さに耐えられず、悶絶する者もあり、
発狂する者もあり、最後まで正気でいられる者は殆どいませんでした。イエス
様は何の罪もないお方なのに、私たちのためにじっとその痛みに耐えて下さっ
たのです。
更に、そのイエス様に数々の侮辱が加えられました。人間として最も耐え難いこと
は侮辱されること、馬鹿にされることです。侮辱ほど自尊心(プライド)を傷つけられ
る耐え難いことはありません。そこでもイエス様はじっと耐えて下さったのでした。
『戦場のピアニスト』という有名な映画があります。ヒットラーの率いるナチスによって
迫害され侮辱された、シュピルマンというユダヤ系ポーランド人の物語です。今から
80年前の1939年、ナチスがポーランド侵攻を開始しました。シュピルマンが公開録音
をしていたラジオ局もドイツ空軍に爆撃されました。シュピルマンは実在の有名なピア
ニストで、この時はポーランドが産んだ作曲家ショパンのノクターン第20番を演奏して
いました。とても美しい名曲です。やがてナチスがワルシャワ市を占領し、ユダヤ系ポ
ーランド人は右手に「ダビデの星」をデザインした腕章を付けさせられ、ゲットーに追い
やられます。
暫くして、ユダヤ人たちは持ち物を皆奪われ、貨車にぎゅうぎゅう詰めに乗せられ絶滅
収容所に運ばれました。家族の中でシュピルマンだけが収容所行から救われ、強制労
働所に送り込まれました。両親・弟・妹は皆ガス室で殺されました。音楽家で痩せた体
に強制労働はきつく、シュピルマンは運んでいたレンガを階段から落としてしまいます。
それをみつけたドイツ人将校が何度もシュピルマンを鞭で打つのです。映画を見ていて
「もうやめろー!」と叫びたくなりました。やがて収容所から脱出したシュピルマンは逃亡
生活を続け、食べ物も飲み物もなく、餓死しそうになります。ある空き家に入り食べ物を
探すと、缶詰が一つ見つかり、何とかして缶を開けようとしますが、物音に気付いたドイ
ツ人将校に見つかります。絶体絶命です!彼の名はホーゼンフェルト。大尉という高級
軍人でした。彼は「お前は何者だ?ユダヤ人か?仕事は何だ?」と聞きます。シュピル
マンは「私はピアニストです」と答えます。すると、「下の部屋にピアノがある。そこで1曲
弾きなさい」と言われます。ここでもシュピルマンはショパンのバラード第1番を演奏しま
す。ピアノ演奏に感動したホーゼンフェルトは、翌日秘かにライ麦パンとソーセージと缶
切りを差し入れました。更に数日して、「間もなくソ連が侵攻してくる。私は撤退する。君
の名前を聞きたい。平和になったら是非あなたのピアノ演奏が聴きたいと言い、パン・
チーズ・ソーセージ、更には自分が着ていた外套までシュピルマンにプレゼントするので
す。見ている私はもう涙が止まりませんでした!映画は、戦争が終わり、シュピルマンが
嬉しそうにピアノを演奏するシーンで終わります。
シュピルマンは戦後、この命の恩人を必死になって探しました。その結果ホーゼンフェルト
はソ連軍に捕らえられ、ソ連の収容所で亡くなったことを知るのです。シュピルマンの息子
は、「父は何としてももう一度ピアノが弾きたいという強い願いがありました。だから、あれ
だけの迫害の中で生き延びられたのだと思います」と述べています。
これは今から僅か80年位前に実際に起こったことです。人間の群集心理は恐ろしいもの
です。感覚が麻痺し、ヒットラーのような人間を選挙で選び、人間を人間とも思わない侮辱
と残虐さに満ちた世界を造りだしてしまうのです。
イエス様を十字架刑に追いやった群衆やピラトや当時の指導者のようにならないように、
常に正しい判断が出来る者でありたいと思います。