「目をあげて、東西南北を見渡しなさい」(創世記)
学問の知識が深まると、取り扱う世界が広がっていく。
小学生の頃、初めて負の数の存在を知ったとき、ものすごく素敵なことを学んだように思った。「これからは1-2が計算できるのだ!」と、何か自分の世界が広がったような気がしてうれしかった。
これを数学的に言い表すと、整数は減算に閉じているという。
自然数全体の集合をNとすると、x、y∈N(∈は、「属する」という記号)について、x+y∈N,xy∈Nだが、x-y∈Nは成り立たない。
ところが、整数全体の集合をZとすると、同様に、x-y∈Zが成立する。しかし、x/y∈Zは成立しない。整数は、加算・乗算・減算に閉じているが、除算には閉じていない。
除算に閉じている数の集合は有理数である。
有理数まで手に入れたら、さぞかしいろんなことができるだろうと思うが、中学レベルでもう行き詰まる。放物線y=x^2のグラフと水平な直線y=2は、もしxが有理数であるなら、なんとすり抜けてしまって交わらない(え、まじ?)。交わるためにはxを実数としなければならない。
ところが、高校数学では、実数とは何かをきちんと定義しないことになっており、極限や収束を考えるときに、高校生諸君はそれこそうまく丸め込まれている。大学に行ってε-δ論法を学ばねばならない。
平面図形について学んだとき、ユークリッド幾何学の美しさに心を動かされたが、やがて非ユークリッド幾何学なるものがあることを知る(平行線が交わるんだよ)。
ニュートン力学でF=maに感動していたら、アインシュタインの相対性理論では、物体の速度が増すと質量が増すという(う~ん、ピンと来ない)。
僕らが高校で学ぶ学問はごくごくかぎられた一部の世界なので、はるかその先にある大海を見やって希望と冒険に胸を膨らませることもできるし、こんなものが何の役に立つのかと投げ出すこともできる。
いったい集合なんてなぜ学ぶのだろう。「数学が好きだけど国語が嫌いな人」の人数を求めるのがそれほど重要なのか、と思ってはならない。底なしに深い集合論、そして群論は、多くの学問の基礎となっている。
数Ⅰで2次関数の動向をこんなに詳しく学ぶのは何のため? 数Ⅱになればわかるかな。数Ⅲでこんなへんてこりんな関数をなぜ積分しないといけないの? それは大学1年で少しはわかるようになるだろう。そうして、世の中の役に立つ学問にようやく触れ始めることができるのだ。
学べば学ぶほど、世界は広がっていく。神が創造した宇宙は、美しさと含蓄に満ちているから、いくら学んでも学びきることはない。学問を志す者は、安心してそこに身を投じ、さらに広い世界に目をむけよう。(辻)