人間誰しもそんな経験があるだろう。でも、そんな時いち早く前を向き、その失敗は自分の未熟さゆえに起きた必然であり、もっと成長せよという天の声だと受け入れ、次なる一歩を踏み出す勇気を持つことが必要であろう。その勇気を持てず、そこに立ち止まっていたら、やはりそれは挫折なのかもしれない。
では、挫折と感じる人はどんな人か。それはたぶん、常に「成功」を求めている人ではないだろうか。成功のみを求め、それ以外はすべて否定する。そんな考え方の人は、たぶん失敗した時に、大きな挫折感を感じてしまうのだろう。
でも、人として「成長」を求めることができたならば・・・。数々の失敗はすべて自分が成長するための「材料」であると考えることが出来たならば…。その人は、きっと失敗を挫折とは感じず、前を向き、次の一歩を力強く踏み出すことが出来るはずだ。
そしていつの日か「成功」をおさめた時、その人はきっと謙虚に周りに感謝の気持ちを持てるはずだ。なぜならば、その人には「おかげ様で」という精神が宿っている。自分の失敗でさえ、「あの経験があったから」という生き方をしているからだ。
だから、高校時代は「成功の仕方」を教えるのではなく、「成長の仕方」を教えることが大切なのだ。それが「育てる」ということだ。少なくとも、私はそう考えている。もし、そういうことが生徒に伝えることができたなら、生徒の人生にとって聖光学院の3年間は、きっと「原点」になるに違いない。
私は、そんな教員・指導者でありたいと思うし、聖光学院がそういう学校であって欲しい。そして聖光学院の今の教育は、限りなくそういった方向に向かっていると断言できる。「聖光学院は、人を成長させる。」それが聖光学院の魅力である。 (完 YOKOYAMA)