1 背景
今日は、イエス様の祝福を受けた5つのパンと2匹の魚で、何と5千人もの群衆がお腹いっぱいになり、しかも、余りもので12の籠いっぱいになったという奇跡物語です。最初に少しこの物語の背景を説明しておきたいと思います。
- このパンと魚の奇跡は、イエス様の起こした奇跡の中で唯一、4つの福音書全てに書かれています。それ程、後世に残したい重要な物語なのです。
- 季節は春4月と思われます。39節に「青草の上に座る」とあり、この青草から春4月と分かります。
- イエス様と弟子たちは、とても疲れていました。いつも4~5千人の群衆が周りを取り囲んでいて、「食事をする暇もなかった」(31節)位でした。
- そこでイエス様一行は船に乗り、対岸に行って、ひと時静かに過ごそうとしました。対岸の町まで船で約7㎞です。でも群衆は、16㎞もある湖岸を走ったり歩いたりして先回りしたのです。16kmは伊達駅から福島を通り越して福島大学のある金谷川駅までに相当する、かなりの距離です。きっとヘトヘトになり、お腹も空いたことでしょう
- そのような必死な群衆を見てイエス様は「深く憐れまれた」(34節)のです。イエス様はいつも「愛のお方」でした
- やがて夕食の時間になりそうなので、弟子たちは群衆の解散を求めましたが、イエス様は、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と弟子たちに命じられました。弟子たちの困惑はどれ程だったことでしょう。
2.この奇跡物語から学ぶべきこと
- 第一は、群衆の必死さです。イエス様一行を乗せた船がどこに向かうかを知った群衆は、何と16kmもの湖岸を走って先回りしたのです。イエス様に病気を癒していただきたい、話を聞いていただきたい、その切なる気持ちが伝わってきます。だからこそイエス様は彼らを「深く憐れまれた」のです。イエス様は疲れ切っているのに、自分のこと以上に群衆を愛さずにはいられなかったのです。
- 第二は、弟子たちとイエス様の心の違いです。弟子たちは群衆を解散させ各自の責任で夕食を食べさせようとしました。いわば責任回避です。しかし、イエス様は違います。たった5つのパンと2匹の魚で5千人に夕食をさせるよう弟子たちに命じたのです。イエス様は、飼い主のいない羊のような群衆を養う責任を果たそうとしているのです。責任を回避しようとする薄情な弟子たちと、最後まで群衆の面倒を見ようとするイエス様の心には、大きな違いがありました。そのことを弟子たちに気づかせる結果ともなった場面でした。
- 第三は、5つのパンと2匹の魚で5千人が満腹するなんて、とても信じられない話だということです。ある人たちは合理的にこう説明します。「この物語は奇跡でも何でもない。彼らユダヤ人は、外出する時は必ず「コフィノス」と呼ばれる弁当を持参していた。弟子たちが「パンが5つ、魚が2匹あります」と言ったので、慌てて自分たちの弁当を開け始め、それを食べただけなのだ」と。
本当にそうでしょうか?だったら同じユダヤ人である弟子たちの慌てふためきは説明がつきません。また、ただそれだけの話を4福音書全てが書くのでしょうか?
イエス様の愛の奇跡はここでも行われたのです。更にイエス様はここで、パンと魚以上に、「命のパン」である「イエス様の愛の言葉」の大切さを言っているのだと、私は思います。