今日も、イエス様が病気に苦しんでいる人の病を癒した物語です。病気は何でも嫌ですが、「重い皮膚病」は特に辛い病気です。古い聖書では「らい病」と訳されていました。病原菌は「らい菌」ですから、この言い方で問題はないと私は思うのですが、差別用語と見なされ、「ハンセン病」とか「重い皮膚病」と呼ばれることの多い皮膚の病です。英語では「leprocy」です。最悪、皮膚の一部が崩れ落ちる恐ろしい病気です。鼻の一部が崩れ落ちたり、唇が歪んだり、思わず目を背けたくなる病気です。
今から2,000年前のイエス様の時代、この病に罹ると①家族から引き離され、②村の外に追い出されて一人で住まねばならず、③人に近寄ることは許されず、④人が近づいて来る時は大声で「わたしは汚れた者です。汚れた者です!」と叫ぶ義務がありました。殆ど伝染しない病気なのに、伝染病のように誤解され、大変恐れられていました。
2,000年前だけの話ではありません。今も差別は残ったままです。忘れもしません!2,003年のことです。熊本県がライ病で入院している患者さんに温泉を楽しんでもらおうと、阿蘇山の麓にある「黒川温泉ホテル」に宿泊予約の連絡をしました。ホテルはライ病の人が風呂に入ったら他のお客に迷惑だと考えたのでしょう。宿泊を拒否しました。数日後、これがマスコミに知れることになりホテル側は大変な批判に晒されました。社長は交代し、遂にホテル廃業にまで追い込まれました。このことがテレビで放送され、ライ病の患者さんが写されました。その歪んだ顔を見た私は、思わず目を背けてしまいました。口では立派なことが言えても、やっぱり私も差別する側の一人だということを知り、恥ずかしく思いました。
でも2,000年前のイエス様は全く違っていました。当時の規則や習慣を踏み破るように、この病人が自分に近寄って来るのを止めもせず、自分から「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」(41節)ました。驚くべきことです!誰も絶対しないことだし、想像すら出来ないことをイエス様はしたのです。「深く憐れんで」とありますが、これは「その病人を心から愛していたので」という意味です。圧倒的なイエス様の愛であります。
今から100年以上前にダミアン神父は亡くなりました。ベルギー人の神父でした。彼は修道会からハワイに派遣されたのですが、赴任後、ハワイにたくさんある島の中で、モロカイ島にはライ病の患者が放置されていることを知り、単身モロカイ島に渡りました。そこには、およそ800人のライ病の患者が家族から見捨てられて暮らしていました。病気が治る見込みがなく自暴自棄になっていた彼らは、もうすぐ死ぬのだからと「酒」と「ばくち」と「淫らな行為」に明け暮れていました。ダミアン神父は、辛抱強く人々にイエス様の福音を説きながら、同時に彼らと一緒に排水路を掘ったり、ブラスバンドを作ったり、様々な愛の行動をしました。そして遂には自分もライ病に罹って短い生涯を終えた人です。
チャールトン・ヘストンが主演し映画史上に残る『ベン・ハー』というアメリカ映画があります。是非DVDを借りて見て欲しい作品です。そのラストシーンは、ライ病に罹って暗い牢屋に入れられていたベン・ハーのお母さんと妹が、ベン・ハーの許嫁の案内で外に出た丁度その時、少し離れたゴルゴダの丘でイエス様が十字架で殺されました。すると激しい雷雨が発生しました。その激しく降る雨に打たれた時、二人のライ病が癒されてゆくという感動的なシーンです。当時のライ病人への差別を知る上でも、イエス様の愛の偉大さを知る上からも是非見て欲しい映画です。
また「病気の癒しなんて信じられない」という人も多いでしょう。今日の聖書でらい病の人はイエス様に「御心ならば」と言っています。これは英語では「If you are willing」で、「イエス様、あなたにその意志があれば」とも訳せます。それに対するイエス様の答えは「よろしい」、英語では「I am willing」で、「私にはそうする意志がある」と訳せます。昔も今も私たちの祈り願いによって神様・イエス様の心が動かされれば、奇跡は起こり得ることを示しています。