2018年12月12日(水)
朝 の 説 教
〈ユダヤの民全体の悔い改めと祈り〉『詩編』79編
この詩編79編は、私が9月26日にお話しした詩編74編と同じく、「バビロン捕囚」の苦しみから書かれたものです。
ソロモン王が前922年に死ぬと、即刻、国が「北イスラエル」と「南ユダ」に分裂しました。ソロモンの罪への神様の裁きです。分裂後も、両国の王も人民も神に立ち返らず、神に背を向けた生活を続けました。再び神の怒りが爆発し、北イスラエルは前722年にアッシリアによって滅ぼされ、約150年後、今度は南ユダがネブカドネザル王の率いるバビロンによって滅ばされてしまいました。エルサレムでは1年半に及ぶ兵糧攻めで多くの餓死者が出、ソロモン王が建てた壮麗なエルサレム神殿は粉々に破壊され、神殿内にあった金・銀・財宝はバビロンに持ち去られ、主だった約5,000名のユダヤ人もバビロンに連れ去られました。これが歴史に有名な「バビロン捕囚」(The Exile)です。
ところでこの詩は、大きく4つの内容から出来ています。
第一は、崩壊したエルサレム神殿を目の前にしての嘆き哀しみです。1節に「神よ、異国の民があなたの聖なる神殿を汚し、エルサレムを瓦礫の山としました」とあります。
第二は、これが自分たちの罪の結果であるとの思いと深い悔い改めです。9節に「わたしたちの罪をお赦しください」と書かれています。
第三は、神様への必死の祈り願いです。9節に「わたしたちを助けて、あなたの御名の栄光を輝かせてください」とあります。
そして第四、最後は神への感謝です。この詩の最後の18節全体がそうです。「とこしえに、あなたに感謝をささげ、代々に、あなたの栄誉を語り伝えます」とあります。
今から2,500年位も前に書かれた詩ですが、「遠く離れたユダヤの、遥か昔の悲惨な歴史の一コマ」で終わるのではなくて、今の自分に当てはめて読むことが重要です。
私がこの詩で最も強く感じることは、貴重な財宝も、主だった人々も異国バビロンに行ってしまい、瓦礫と化したエルサレム神殿の前に立つ、エルサレム神殿音楽監督のアサフが、この詩の最後には神を褒め称えていることです。哀しみのどん底、全くの絶望の中でも尚、神を賛美し、神に感謝していることです。どうしてそんなことが出来るのでしょうか?それは神への絶対的信頼から来ています。「今はこのように哀しみのどん底にあっても、神は必ずわたしの祈りを聞いて、助けてくださる!」という神への確信です。新約聖書にある「祈り求めたことは、既に得たりと信ぜよ」の信仰です。私が今日の詩編79編から強く教えられたことはこのことです。
その証拠を一つ挙げておきます。預言者エレミヤは『エレミヤ書』29:10に「主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地(エルサレム)に連れ戻す」と書いています。これは、ユダヤ人たちがバビロンに70年は抑留される(止め置かれる)という意味です。でも歴史は、ユダヤ人たちはそれより20年も早く、50年で故郷エルサレムに戻ったことを示しています。
愛と赦しの神が、ユダ人たちの悲痛な祈りに我慢しきれなくなって、何と20年も早く彼らをエルサレムに帰還させたことが分かるのです。
そうです!祈りは聞かれるのです!