長い2学期も今日で無事終了し、明日から冬休みに入ります。皆さん、今年のクリスマスはどのように過ごしますか? 嬉しいことに、私は早々に素敵なクリスマスプレゼントを2つも受け取りました。
先日、いわき市で教え子の結婚式がありました。数か月前に電話で「先生、この度結婚することになりました。ぜひ先生に出席していただいてご挨拶をお願いします。」という嬉しい知らせがありました。
よくある恩師と教え子の結婚披露宴での再会とは、一味違っていました。それは、後述の【参考文書】を読んでいただければお分かりになると思いますが、決して生きて会えるとは思わなかった教え子との4年ぶりの嬉しい再会でありました。
「苦難のどん底から生き返った英雄」との再会は、言葉では言い表せないほどの喜びと感動のひと時となりました。
更に、招待されていた別の教え子から掛けられた嬉しい一言が、私の心を豊かにしてくれました。披露宴終了後、別れ際に「先生も年なんだから、体に気を付けて。」と・・・。学生時代は、思い込んだら一人で突っ走ってしまうようなあのヤンチャ坊主が、恩師の私に向かって発した言葉でした。「なーに、生意気なこと言ってんだ。まだ、そんな年食ってねーぞ」と言い返すところですが、彼の言葉に大きな成長の跡が読み解取れて、とっても嬉しかったのです。
4年前の震災後、新郎の父が被災して避難したのが彼の家だったそうです。それ以後家族同様の付き合いをしてきたとのことで、彼のご両親もご夫婦で招待されておりました。切っても切れない強い絆で結ばれた2つの家族で育った彼は、見事なまでに素敵で凛々(りり)しい男になっていました。だから、彼の父親と同い年の私に、ねぎらいと愛情をこめてかけてくれた言葉は、私にはもったいないほどの言葉に思えたのです。本当に嬉しかった。何物にも代えがたいほどの素敵なクリスマスプレゼントとなりました。こころから感謝です。
【参考文書:2011.4.27聖光学院高等学校ホームページ先生方のブログ掲載】
「 47分28秒 」≪ 死 なない不死身のエイトマン ≫
3月16日(水)夕刻、私の携帯に一本の電話が鳴りました。
一年前、消防士として小高分署配属になって任務に就いていた卒業生からでした。
「地震・津波・原発事故により避難勧告が出されたにも関わらず、被災者の救助、捜索に町の役場職員と消防署員だけで命がけで取組んでいます。しかし、町は既に廃墟と化し誰一人として残っていません。今は、放射能による被曝を覚悟で救助、捜索に当たっています。正直言って、憧れの消防士になれた喜びが半分と、このような事態になってしまって後悔が半分です。今、僕たちのほかにこの災難に立ち向かう人が見当たりません。とても、複雑な気持ちです。放射能の影響が恐ろしいですが、死を覚悟しての任務に休み無く当たっています。今日、4日ぶりに非番になって、原町分署で休息を取っていた中、先生のことが思い出されたので電話しました。」とのことでした。
何とも悲痛な叫びに、涙が止まりませんでした。
返す言葉も無く、ただひたすら彼の話を聞くのが精一杯でした。
「いろいろな苦しみ、悲しみ、心配は尽きないだろうが、生きてさえいれば何とかなる。どんな事態になっても、決して諦めるんじゃないぞ! この次、必ず笑顔で会う約束をしよう! 望みを捨てるなー!・・・。」もう言葉になりませんでした。
彼と電話で話した時間が「47分28秒」でした。 彼の無事を祈り、「絶対に死なない英雄であれ」という願いを込めるとともに、いつまでもこのことを忘れないでいるためにも表題の言葉に、このときの時間をもじりました。 彼との最後のやり取りは、「俺からこの電話を切ることは出来ない。」 「はい、わかりました。先生、お元気で!」でした。
・・・・「俺との約束を忘れるんじゃないぞ!!」N.E