本田宗一郎といえば、スーパーカブ、マン島TTレースやF1が代名詞。本田技研工業の創業者である。今日は幾多の困難を乗り越え現在の地位を築いた本田総一郎のエピソードを紹介したいと思います。
1950年代に会社は経営難に陥った。しかし、本田宗一郎は従業員の士気高揚を図ることで経営を立て直そうと、多額の資金が必要なマン島TTレースやF1などの世界のビッグレースに参戦することを宣言し、見事に経営を立て直した。1962年にはF1に参加し、優勝を成し遂げることができた。常に挑戦する心を忘れることなく社員に意欲と情熱を持たせることのできる人であった。
そんな中、1986年、F1でのホンダエンジンの圧勝を面白く思わないFIAはターボエンジンを禁止した。この決定にホンダのチーム監督は憤慨した。しかし、本田宗一郎はチーム監督に「ホンダだけがターボ禁止なのか?違うのか、馬鹿な奴らだ。ホンダだけに規制をするなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。」そんな話をし、チーム監督は憤慨から一転、嬉しさを覚えました。
もう一つは、社長を退いた後、国内の700ヶ所の事業所、販売店、工場などをすべて回り従業員一人一人と握手して「ありがとう。ありがとう。いつもありがとう。」と言い続け従業員への感謝を忘れることがなかった。
本田宗一郎は多くの失敗を繰り返した人物でも有名です。しかし、その失敗を無駄にすることなく逆境を逆手にとり成功に導き、数少ない成功をものにしています。そんな成功の裏付けが従業員への感謝の心であったのではないかと思います。
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