我が家の猫の額ほどの庭にはナスとミニトマト、紫陽花やラベンターや少しばかり植えられています。
最近、何日か暑い日が続いたせいか、それらの植物以外の名も無き草たちまで元気にスクスク育ってしまっています。
ひとくくりに言ってしまえば「雑草」・・・・・・。週末はこの困った雑草たちとの戦いです。
コンクリートの隙間や日の当たらないようなところからも顔を出し、みるみるうちに大きくなる。そしてしっかり根を張り、地面にしがみつく。また一本むしっても根っこで周りの仲間とつながっていて、ちょっとやそっとでは枯れないやつ。触っただけで勝手に種を飛ばしたりするやつまでいるのです。
しかしながら、「雑草」なのに小さな可愛い花をつけたりするのもあるのです。そんなのを見ると抜くのを躊躇していしまいます。
考えてみると「雑草」という名の植物はないのですよね。本当は新種でもない限りどんな草にも名前があるはず。
私自身がその名前を知らないばかりに「雑草」と一くくりにして邪魔者扱いしているんだなぁ、とも思います。
そう考えると「名前を知る」ということは、その存在を認め、受け入れる第一歩なんですね。
「名前を知る」ということは「学ぶ」ことの原点でもあるように思います。学ぶことの意義を少し感じさせられました。
とはいえ、家の周りが草ボーボーでは困るので一本一本と対話しながらこの週末も草むしりです。