授業で鴨長明の方丈記を学んでいます。
教科書に載っているのは有名な「行く河の流れは絶えずして…」で始まる冒頭の部分です。この世はすべて移り変わり、永遠不変のものは何一つないという無常観がテーマになっています。
生徒の感想を見ると、
「目に見えるものは全て変わっていくけれど、目に見えないもの、形のないものならばずっと変わらないものもあるのではないか。」
「考えてみると、ずっと変わらずにあると思われる時間でさえ一瞬のように流れ去り、いつかは終わりが来る。全てのものはかなく移り変わっていくことを改めて感じた。」などとまとめていました。
発展の時間に同じく方丈記の第六段「大地震(おほなゐ)」を紹介しました。元歴2年(1185年)7月9日に起きた大地震について記したものです。現代語訳すると「山は崩れて川を埋め、海は傾いて陸地を浸す。地面が避けて水が湧きだし、岩が谷に転げ落ちる。波は船をおもちゃのようにして、道行く馬は足下がおぼつかない。」とあります。まるで東日本大震災の事を記録なのかと思ってしまいます。
またこの段の最後にはこのような記述も…
「すなはち人みなあぢきなき事を述べて、いささか心の濁りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。」
(地震の直後は人々もみな、この世の営みのかいのなさを述べ、少しは欲望にまみれた心も洗われたかのように見えたが、月日が経ち年月が経つと、そんなことは口に出して言うものさえいない。)
地震は私たちの生き方や考え方に大きな変化をもたらしました。そして社会の在り方も変化に迫られています。大飯原発の再稼働についての連日報道されていますが、800年前に生きた鴨長明だったらこのことをどのように考えるでしょうか。
いにしえと現代のつながりを感じずにはいられません。
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