先日、寮生活のなかでちょっとした”事件”が起きました。寮生活を送る生徒達は、毎日部活動の練習が終えた後、有難いほどおいしい食事をいただき、自主練習を終えた後は、それぞれが自分の時間に合わせ、大きな浴場で汗を流しながら談笑し、1日の疲れを癒します。これは普段毎日送られている当たり前の生活のリズムの1つです。
しかしある日、午後11時過ぎに1人の生徒が、私の部屋を訪ねてきたのです。何かあったのかと思い、話を聞くと「浴場のお湯が止まりません」と言うのです。お湯が一定の量に達すると自動的に止まったり、お湯を足したりと優れものの機能が異常を起こしているというのです。機械のトラブルかと思い、一応点検に行きましたが、私の知識では直すことができなそうなので、生徒が入り終わる12時になったら電源を切ればいいかなと。「水道代がかからなければいいな。」不安に思っていた私の思いを神は察してくれたのか、生徒から「お湯が止まりました。」という報告があり、胸をほっと・・・なで・・・降ろそうとした時、次なる試練が待ち受けてました。今度はなんと、「シャワーからお湯が出ません」という報告なのです。(Oh,My God!!)「シャワーが出なくても、余りあるほど湯船にはお湯がたくさんあるんだ。それを使って今日は済まそう。」と話し、生徒達も事態を受け止め、快諾し対応してくれました。さっきまで止まらなくて困っていたお湯を存分に活用し、みんな洗面器で体を流し解決に向かおうかとしたところ、次なる試練です。今度は、「洗面台の水が出ません。」というのです。時は既に12時を越えていたので「もう夜じゃないか。歯は磨かれないかもしれないが、明日思う存分磨きなさい。水は使わずに済むのだから、ガマンしよう。」歯を磨けない彼らはさすがに難色を示したが、事態が事態なだけに受け止めざる得ない状況であったため、仕方がなかった。
生徒達が水を使わなければ済む問題ではなく、よくよく考えてみると大変な問題だ。「トイレの小はなんとか大丈夫かもしれないが、大を使ったら大変だ!」「100人近い生徒が大をしたくなったら、どうしよう??」「待てよ、明日の朝は六時過ぎから遠征だぞ、朝飯はどうする??」頭の中がパニックを起こしそうになった頃、いきなり廊下の蛇口から勢いよくバァ~と水が流れてきたのです。(それはそれでビックリしましたが・・・)原因は、タンクの中にある容量を超えてしまったための断水と後でわかりました。しかし、水が溢れる事よりも止まった事のほうが衝撃が走りました。余ることは許されるが、無くなることへは危機感が一気に募る。蛇口から水が出なくなるだけで、こんなに慌てふためく自分自身がいたことを感じました。蛇口をひねれば水が出る。いかに日本という国が豊かであるのか、当たり前のことがいかに幸せなことなのかを改めて痛感しました。豊かな国に生まれ、恵まれている環境に育つからこそ失うものがある。そういう普段の何気ない生活の中に大切なことがある。そういうことに感謝する気持ちを教えることも大事な教育の1つではないかと思いました。(Y.I)