「走れない」「打てない」「蹴れない」「タックルできない」「抜けない」「飛べない」「シュートが入らない」・・・・・・・「出来ない」だから出来るようになるために練習する。
先日、ラグビーの大会があった。結果は散々な敗戦である。試合後、ある生徒が自分は○○が出来ないからポジションを変えたいとの申し出があった。日頃、真面目に練習を行い、確実に力を付けている生徒であるが、試合での失敗に責任を感じて、申し出たのだと思う。私は、本人をひどく叱りつけた。「試合での失敗」を責めているわけではない、「失敗、出来ないこと」から逃げて楽な道を選んでいることを責めた。誰でもが最初からすべてのプレーを出来たのであれば、スポーツは楽しくない。出来ないことを出来るように、苦労しながら日々練習を行うことに達成感や感動が生まれ、勝利できる。出来ないことから逃げていたのでは何も生まれない。
私達が生きていく上でも同じことがいえるのではないでしょうか。「出来ない」ことを言い訳に楽を求める。失敗すれば、他人に責任を押し付け、結局自分では何もしていないことに気付く。
今、チームは発展途上である。多くの部員は敗戦から自分と向き合い、「自分は何もしていない」ことに気付た。この経験を胸に、今も熱くて激しい練習が続いている。「ポジションを変えたい」と言っていた彼もいつも以上に声を出し、精力的に活動している。今後の活躍が楽しみである。