今日の聖書は、イエス様が弟子のユダに裏切られて逮捕される場面です。3つのことを話します。
第一に、どうしてユダは、先生であるイエス様を銀貨30枚で売るような裏切り行為をしたのだろうかと思います。
「ユダ」という名前には「神を賛美しよう」という素晴らしい意味が込められているのに、まるで反対の行動をとった
のです。
第二は、その裏切者ユダに対して、イエス様が50節で「友よ!」と呼びかけていることです。英語の聖書でも「フレン
ド!」と呼びかけています。自分を裏切った憎き相手をどうして「友よ」などと言えるのでしょうか!イエス様の
愛と赦しの素晴らしさを示す感動的な記事です。
第三は、今日の最後に出てきた「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」という箇所です。約3年、寝食
を共にしてきた先生を全員が見捨てて逃げてしまうなんて、何て卑怯で弱虫な弟子たちでしょうか!私も若い頃は
強くそう思いました。でも年齢を重ねるごとに、人間の弱さに目を向けるように変わりました。ですから、この記事か
らすぐ思い出すのは遠藤周作の『沈黙』です。あの小説にはイエスを先生と慕いながら裏切った、3人の人物が出
て来ます。①イエズス会の宣教師フェレイラ、②彼の弟子ロドリゴ、③キチジローです。
江戸時代、「島原の乱」の平定に手を焼いた幕府は、踏み絵を本格的に導入し、クリスチャン迫害を強化しまし
た。踏み絵を踏まない者、棄教しない者には容赦ない拷問が待っていました。最もひどい拷問は「逆さ穴釣り」でし
た。穴の底に人間の糞尿を入れ、足首を縛った人を逆さに吊るすのです。耳たぶに穴を開け、少しずつ出血させ
て死なないようにしました。イエズス会の宣教師フェレイラが布教に赴いた日本で、過酷な弾圧に屈して棄教したと
いう知らせがローマに届きました。そのことを確かめ、同時に隠れキリシタンを勇気づけるため、フェレイラの弟子
のロドリゴが、マカオで知り合った軟弱な日本人キチジローの案内で五島列島に密入国します。あまりのキリシタン
弾圧を知ったロドリゴは神に救いを求めますが、神は「沈黙」したままでした。キチジローは自分の身を守るためロ
ドリゴがいることを密告してしまいます。連行されるロドリゴの行列を、キチジローは泣きながら追いかけ許しを請い
ました。
ある夜、牢に捕らえられたロドリゴを先生のフェレイラが訪ね棄教を勧めました。ロドリゴは断固拒否します。ロドリ
ゴは牢の中でずっと聞こえている鼾のような音を止めてくれと叫びます。するとフェレイラは、「それは鼾などでは
なく、拷問されている信者の声だ」と答えます。更に、「その信者たちは既に棄教を約束しているのに、ロドリゴ、お
前が棄教するまで拷問を続けるのだ」と聞かされます。そしてフェレイラも又、同じことで棄教したことを知ります。
朝になり、外に出されたロドリゴはイエス様の顔が彫られた踏み絵を踏みます。するとその時、踏み絵の中のイエ
ス様が「踏むがいい。お前の辛さを私が一番良く知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためにこの世
に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ」と語りかけます。
遠藤周作は著書『切支丹の里』の中で、「この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切ったとき、泪を流さ
なかったとどうして言えよう。後悔と恥で身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみに対して、
小説家である私は無関心ではいられなかった。彼らが転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈
りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである」と書いています。また遠藤周作は後に、「キチジローは自分
自身をモデルにした人物である」とも語っています。何という謙遜さでしょうか!
人間は弱い者であり、自分が可愛いのです。でも聖書から11人の弟子たちのその後を見ると、妥協しない鉄のよ
うな意志の強い人間に変えられていることに驚きますし、復活のイエス様の力の偉大さを感じずにはいられないの
です。