1 背景について
7節に「イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた」とあります。弟子たち12名の名前は、明日学ぶ聖書に書かれていますが、既に1章で、①ペテロ・②アンデレ・③ヤコブ・④ヨハネの4名のガリラヤ湖の漁師たちがイエス様の弟子になったことを学びました。
イエス様がそれまでいた場所を「立ち去られた」理由はイエス様が安息日を軽視しているという理由で、殺す相談が始まったためです。弱虫で逃げるのではありません。イエス様にはまだやるべきことがたくさんあったからです。まだイエス様が捕らえられて十字架に架けられる時ではなかったからです。
8節に群衆の故郷名が書かれています。聖書の後ろにある「新約時代のパレスチナ」という地図を開いてください。その地図の一番南に「イドマヤ」という地名があります。右下の縮尺から判断してガリラヤまでは直線距離で約200㎞あります。移動手段は歩きだけの時代です。200㎞歩くには4~5日は要したでしょう。食料や水や寝る場所はどう確保したのでしょうか?想像しただけでぞっとします。そんな心配より、とにかく今評判のイエス様に会って衣の房にでも触り、病気を癒して欲しいという彼らの必死さが伝わってきます。こうした群衆に取り囲まれ、イエス様は押しつぶされそうでした。
2 人間はみな奇跡を求める
皆さんの中には、10節にある「イエスが多くの病人をいやされたので」という言葉について、「私は奇跡なんて信じないし、土台、神様がいるなんて信じられない!」と思う人がたくさんいるでしょう。本当に奇跡を否定するのですか?私は行きませんが、統計では、日本人の約90%の人が正月初詣に行くそうです。何のために行くのですか?試験に合格しますように!良い結婚相手が見つかりますように!今罹っている病気が治りますように!全部奇跡が起こることを願っているのです。矛盾していませんか?人間、どんな強がりを言っても、いざとなれば「神様!助けてください!」と叫ぶ者なのです。
今から30年以上前の1985年8月12日、「日航ジャンボ機墜落事故」という大事故がありました。524人の乗客を乗せ、羽田から大阪伊丹に向ったジャンボ機が操縦不能になり、群馬県の御巣鷹山に墜落した事故です。奇跡的に助かった人は僅か4名、残りの520名は即死でした。整備不良が原因で、尾翼が破損し、油圧機能が麻痺し、操縦不能になったことが原因でした。パイロットは奇跡の着陸をしようと、米軍の横田基地や羽田への引き返しを試みましたが駄目でした。約30分間の奇跡の飛行の後、墜落炎上しました。著名人もたくさん乗っていて亡くなりました。その代表は坂本九さんでした。「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」等のヒット曲で知られる歌手でした。また偶然、前の便に変更して助かった人に明石家さんまさんや、フジテレビのアナウンサ-だった逸見政孝さんらがいました。
そんな乗客の一人に、大会社の神戸支店長さんがいました。彼はいつも社員への訓示で、「皆さん、人生は自分の英知と努力で切り開いていくものです。神様などに頼るような弱い社員がいるなら、さっさと私の会社から出て行ってもらいたい!」と言っていたそうです。死を覚悟したこの人は、ポケットから手帳を取り出し、30分の間に遺書を書きました。こういう内容です。「残念だ!私にはまだすることがたくさんあるのに!今死ななければならないなんて!残念だ!妻よ、有難う!息子たちよ!有難う!お母さんを助けて仲良くやってくれ!」。そして3ページ目に小さい字で「神様、助けてください!助けてください!」と書きました。
旧約聖書の『詩編』50:15に、「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」とあります。私にはこの支店長さんの矛盾を笑うことなどできません。人間は誰でも「苦しい時の神頼み」をするのです。それで良いのです。神様は「そうしなさい」とまで言って下さっています。病気を癒して欲しい一心のこの群衆のように。私たちも又、イエス様と神様に必死に祈り願う者でありたいと思う者であります。