今日の説教で、新井秀校長から「神と共に働く人に」についての説教がありました。
ぜひお読みください。なお、INFORMATIONからもご覧になれます。
今朝の礼拝には保護者の方々も出席して頂いております。有難うございます。本校では毎朝このように、礼拝から一日を始めております。
今朝は、本校の建学の精神である「神と共に働く人に」という聖書の言葉についてお話ししたいと思います。第一校舎の玄関に大きな字で「神と共に働く人に」とあり、その下にギリシャ語で「アガペー」(愛)と書かれています。この二つが本校が建学以来一貫して大切にしてきた聖書の教えです。「神と共に働く」とは、聖書に「神は愛です」とありますから、「愛と共に働く人になる」、「愛をもって働く人になる」と、言い換えることができる言葉であります。
先日福島学院大学から理事長はじめ3人の方が来校されました。そして理事長さんが開口一番、「話には聞いていましたが、挨拶が本当に素晴らしいですね!しかも野球部の生徒さん以外も、皆さん挨拶をするんですね!本当に驚きました」と言われました。挨拶は愛があるからできることで、愛がなく憎しみに心が満たされていたら、挨拶なんてできません。聖光学院生は既に「愛をもって働く人になっている」ということです。大変嬉しいことです。
今日は新垣勉さんという盲目のテノール歌手の話をします。まず、新垣さんの歌う「さとうきび畑」を少しだけ聞いてください。
新垣勉さんは1952年沖縄生まれ、今66歳です。父はメキシコ系アメリカ人で、沖縄の米軍基地で働いていました。母は沖縄の人でした。新垣さんは生後間もなく、助産婦さんのミスで、家畜を洗う時に使う劇薬を点眼されたため、失明してしまいました。1歳の時に両親が離婚、父はアメリカに帰り、母は新垣さんを自分の母に預け、再婚しました。新垣さんは中学1年まで、おばあちゃんを母親、たまに訪ねて来る母を年の離れた姉と思って育ちました。でもやがて、自分の出生の秘密を知りました。どんなに辛かったことでしょうか!更に大好きだったおばあちゃんが亡くなり、中学2年生にして「天涯孤独」になってしまいました。その時の心境を『ひとつのいのち、ささえることば』という本にこう書いています。「私の視力を奪った助産婦を殺したい。母を殺したい。父も探し出して殺したい。そして自分も死にたい。私の心は恨みと憎しみでいっぱいでした。おばあちゃんこそ母親でした。その祖母が死に、私は天涯孤独となりました。何のために生きているのか。私は生きる価値のある人間なのか。井戸に飛び込んで自殺しようとして、友達に見つかってしまいました」と。
その時です!ラジオから讃美歌が流れてきました。その素晴らしいメロディーに吸い寄せられるように、新垣さんは近くの教会を訪ねました。そこで城間祥介牧師に出会いました。本に、「私は城間牧師に、両親に対する恨みをすべてぶつけました。気が付くとすすりなく声がするのです。城間牧師は一言も言わずに、涙を流して聞いてくださっていたのです。私のような人間のために泣いてくれる人がいる!私の心は感動で震えました」と書いています。
何と素晴らしい牧師でしょうか。この方こそ「神と共に働く人」すなわち「愛をもって生きる人」であります。城間牧師は「行くところがないんでしょう!家にいらっしゃい!」と声をかけました。既に3人の娘さんがいて大変なのに、新垣さんを家族の一人として迎え入れてくれたのです。
新垣さんはクリスチャンになり、更に牧師になりました。一方、素晴らしい歌声も生かしたいと、ボイス・トレーナーのバーランド先生のもとに通い、本格的に声楽を学び、武蔵野音楽大学に学びました。やがて「サトウキビ畑」が大ヒットし一躍有名になりました。本にこう書いています。
「サントリーホールでのコンサートに美智子皇后陛下が来てくださいました。コンサートの後で15分ほどお話をしました。私の生い立ちをすべてご存知でした。私の歌に涙が出て止まらなかったとおっしゃいました。傍にいるだけで、温かさが感じられるお方でした。歌の道が開けてきて、ようやく私は父と母を許すことができるようになりました。私の声はラテン系の父からの贈り物ですし、歌が歌えるのは母が私を生んでくれたからです。神様は私から光を奪われましたが、声をプレゼントしてくださいました。神様の愛は、昔も今も、ずっと私に注がれていたのだと、心からそう思うように変えられました」と。
城間牧師だけでなく、ずっと両親を恨んでいた新垣さんまでもが、「神と共に働く人に」、「愛をもって働く人に」変えられたのです、本当に素晴らしい神様の御業ですね。皆さんも時々は校訓の「神と働く人に」を思い起こして下さい。