名将源義家。幼名八幡太郎と言えば誰しも知る歴史上の人物ですね。
破竹の勢いで武功を挙げている最中、前九年合戦の戦功話を藤原頼通邸で評していた際、大江匡房が「器量は賢き武者なれど、なお軍の道を知らず」とつぶやいたのを義家は家人を通じて聞いたのです。上昇気流、向かうところ敵なしの義家はそれを聞いて怒るどころか、腰を低く頭を下げて匡房に弟子入りしたのでした。
その後の後三年合戦の中で生まれたのが「雁行の乱れ」。通常列をなして整然と飛ぶ雁の群れが乱れをなして飛んでいるのを見て、義家は匡房から教わった「孫子の兵法」を思い出し、清原軍の伏兵ありと察知して、これを撲滅しました。義家は「匡房の一言がなかったら危なかった」と語ったといいます。
もし、あの時、こんなに武功を挙げている俺様に「軍の道を知らず」とは何事だ!と怒って匡房を無視していたら・・・。人の話しに耳を傾けることをしなければ・・・。義家の謙虚さに、我々は学ぶところが多くありますね。
ちなみに義家。後三年合戦は清原氏内紛平定の戦い、私戦ゆえに朝廷から恩賞は出ず。そこで義家はポケットマネーで東国武士に恩賞を出したといいます。その義家の姿勢が、源氏と東国武士の絆を深くしたのです。
やはり時代を動かすのは、こういう人なんですね。勉強になります!