正月、人気番組の奇跡体験アンビリバボーを見た。様々な場面で活躍する日本人を特集したものであったのが、その中で戦時中ブルネイを占領した日本軍がその知事として派遣したのが木村強さん。木村さんは当時占領した現地の人を奴隷扱いするのではなく、限りなく尊重し、現地の人のためにインフラ整備などをした人物で、現在のブルネイと日本の友好関係の基礎を築いた人でした(今でもブルネイで作られる天然ガスの9割が日本に輸出されている)んだそう。「和をもって貴しとなす」。聖徳太子のあの一文こそが日本人の心であると、それを貫いたのでした。
戦時中の話しですから、凄いですよね。
こんな話しを見つけたので、ご紹介します。やっぱり戦時中の話し。
◆大正から昭和初期、パラオは日本の統治下にあった
先住民を奴隷のように働かせ、国を支配するのが当たり前だった時代、
パラオを重視していた日本は、25年の年月をかけて
農業を伝え電気を通し道路を舗装、人々が豊かに暮らせるように尽力した
そのためパラオ人は、親日家が多い
日本への憧れから日本の国旗に似た国旗を採用している
●パラオ900人の命を守った日本軍人:中川州男
1898年、熊本県玉名郡に生まれる
父:文次郎は、西南の役で西郷隆盛と共に戦った経験もある藩士
そんな父から口酸っぱく諭された言葉があった
「弱い者に優しくなれるよう強い男になれ」
18歳で陸軍士官学校に入学
そしてはじめて中隊長となった時、
「鉄拳制裁の禁止」という型破りな決まりを設けた
中川指揮の下、演習を行っていた時、兵士たちは束の間の休息をとっていた
ある兵士が故郷で息子の帰りを待っている母親の写真をポケットから取り出した
休憩を終え、演習を再開した時、一枚しかない写真を落としてしまった
演習地から基地へと戻った後、兵士は写真が無くなっていることに気付いた
しかし軍の規則で個人的な外出は許されず、写真を探しに引き返すことはできない
そこに中川が通りかかる「どうした?」「実は写真を落としたみたいで」
「探しに行くぞ!今ならまだ見つかるかもしれん」
中川は自ら演習地へ戻り、部下のために写真を探し見つけ出した
軍の規則にとらわれず、型破りな行動をする中川は部下からの信頼が厚かった
1941年、太平洋戦争が勃発
アメリカは圧倒的軍事力で日本領土を次々と制圧
次にパラオ諸島のひとつペリリュー島が目標とされた
戦況が悪化する中、守備隊長に任命されたのが中川州男
ペリリュー島に到着後、最初に行ったのは、戦場となる島の視察
島全体がジャングルで覆われ、頑丈な岩山が連なる特殊な地形
中川は岩に穴を掘って基地を造り、頑丈な岩を縦に戦う作戦を思いつく
ペリリュー島の地盤は想像以上に硬く、手作業で掘るのは極めて困難
部隊の士気を保つため、つるはしを持ち基地造りの先頭に立った
しかし基地造りは一向に進まず、アメリカ軍は徐々にペリリュー島に接近
そんな時、つるはしを持ったペリリュー島の住民が現れた
「私たちは日本の人たちに大変良くしてもらいました。私たちも手伝います」
中川たちは島民と手を組み、作業は急速に進められていった
苦楽を共にし、固い絆で結ばれた日本兵と島民
中川は手伝ってくれた島民たちに対し、深い感謝の想いを抱いていた
アメリカ軍を率いるのは、アメリカの英雄:チェスター・ウィリアム・ニミッツ
こんな小さな島、3日で制圧できる
アメリカは日本軍の難波もの兵力を集結し、ペリリュー島へ接近
戦闘を間近に控え、本部では連日 作戦会議が開かれる緊迫した状況
そこへ「隊長さん、私たちも一緒に戦わせてください」
家族同然に接してきた中川たちのため、島民は戦闘に参加する決意をしてきた
「ふざけるな!我々誇り高き帝国軍人が、貴様ら土人などと一緒に戦えるか!」
中川は島民の申し出を冷たくあしらった「この島から出ていけ!」
命を懸ける覚悟を決めた島民にとって信じられない言葉だった
戦闘に参加することを拒否さえ、追い出されるように島を後に
徐々に島を離れていく船から見えたのは、中川をはじめ敬礼をする日本兵たちの姿
冷たくあしらわれたのは、島民を守るためのウソだったことに気付く
島民を戦闘に巻き込まないよう安全な場所へと避難させた
1944年9月、アメリカ軍が遂にペリリュー島に到着
猛攻撃を仕掛けた
日本軍が浴びた砲弾は17万発
それでも日本軍は島民と造り上げた頑丈な基地を盾に応戦
3日で終わると思われていた戦いは、74日間にもおよびアメリカ軍に深い痛手を負わせた
しかし約1万人いた日本兵は次々と倒れ、たったの34人に
1944年11月24日、中川州男は自決、享年46
戦争が終わり島に戻った島民たちが目にしたのは数多くの日本兵の亡骸
悲しみに暮れながら遺体を葬った
その後、日本に代わりアメリカがパラオを統治
日本は侵略国家、残虐民族とアメリカは反日教育を進めるものの、
日本と固い絆で結ばれたパラオの人々は何一つ信じなかった