「実りある1年に!」
新しい年が始まると、心も新たになります。
新しい年、新しい学期に、みなさんはどのような思いで望んでおられるでしょう。
先 生たちの仕事始めは1月4日でしたが、朝、何かいつもとちがう感じがするのです。そして、はっと気づきました。すでに1月2日に新年のあいさつをすませて いたので、その日に「明けましておめでとう」と言うよりも、「応援お疲れ様でした」と言葉を交わすことが多かったのでした。
1月2日は、サッカーの全国選手権。東京の駒沢陸上競技場で、選手、生徒、先生たちが心をひとつにして戦いました。3学期の始業を前に、すでに新年の活動は始まっています。
これから大学受験に臨む生徒は、来週のセンター試験が大きな山場となります。行事が多い2学期に比べ、3学期はあっという間に過ぎていきます。卒業、進級に向けて、1年の総まとめとともに、新しい歩みの準備としていってください。
さて、今年は巳年(みどし)で、私は年男です。
聖 書では、ヘビは人類に罪をもたらした張本人です。最初のカップルであるアダムとエバに近づいて、神さまが食べることを禁じた木から果実を取って食べるよう にそそのかしたのです。それで、へび年生まれは私にとってあまりうれしいことではないのですが、今年はヘビーになることなく(なんとか正月の体重増を早期 に解消し)、多くの良い「実」を結ぶ1年にしたいと願っています。
「実り」は、信じ、待ち望む歩みの結果です。
願ったらぱっと出てくるものでもなく、お金を出したらすぐに手に入れられるものではありません。何カ月先、あるいは何年先の結実を信じて、長い期間、じっくりと取り組み続けてこそ、得られるものです。
そして、もうひとつ、私たちの立っている場所も大切です。
▼いかに幸いなことか。主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。(詩編1編)
流れのほとりに植えられた木、つまり、いつも神さまのそばを歩き、聖書の言葉に養われるとき、時が来ると必ず実が実ると聖書は教えています。
神さまが私たちの人生に、聖光学院に、豊かな実りをもたらしてくださることを信じ、新しい学期を希望を持って始めていきましょう。(辻)
新しい年が始まると、心も新たになります。
新しい年、新しい学期に、みなさんはどのような思いで望んでおられるでしょう。
先 生たちの仕事始めは1月4日でしたが、朝、何かいつもとちがう感じがするのです。そして、はっと気づきました。すでに1月2日に新年のあいさつをすませて いたので、その日に「明けましておめでとう」と言うよりも、「応援お疲れ様でした」と言葉を交わすことが多かったのでした。
1月2日は、サッカーの全国選手権。東京の駒沢陸上競技場で、選手、生徒、先生たちが心をひとつにして戦いました。3学期の始業を前に、すでに新年の活動は始まっています。
これから大学受験に臨む生徒は、来週のセンター試験が大きな山場となります。行事が多い2学期に比べ、3学期はあっという間に過ぎていきます。卒業、進級に向けて、1年の総まとめとともに、新しい歩みの準備としていってください。
さて、今年は巳年(みどし)で、私は年男です。
聖 書では、ヘビは人類に罪をもたらした張本人です。最初のカップルであるアダムとエバに近づいて、神さまが食べることを禁じた木から果実を取って食べるよう にそそのかしたのです。それで、へび年生まれは私にとってあまりうれしいことではないのですが、今年はヘビーになることなく(なんとか正月の体重増を早期 に解消し)、多くの良い「実」を結ぶ1年にしたいと願っています。
「実り」は、信じ、待ち望む歩みの結果です。
願ったらぱっと出てくるものでもなく、お金を出したらすぐに手に入れられるものではありません。何カ月先、あるいは何年先の結実を信じて、長い期間、じっくりと取り組み続けてこそ、得られるものです。
そして、もうひとつ、私たちの立っている場所も大切です。
▼いかに幸いなことか。主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。(詩編1編)
流れのほとりに植えられた木、つまり、いつも神さまのそばを歩き、聖書の言葉に養われるとき、時が来ると必ず実が実ると聖書は教えています。
神さまが私たちの人生に、聖光学院に、豊かな実りをもたらしてくださることを信じ、新しい学期を希望を持って始めていきましょう。(辻)