聖書のキ-ワ-ドは何か。信仰・希望・愛であるが、聖書を読んでみると、ある2文字に
気がつく。その文字は何か。「祝福」という文字である。創世記22章を共に学びたい。
神はアブラハムを通して祝福を与えてくださったのである。アブラハムは神から命じられた
通り、「あなたの愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行きなさいと、そして、焼き尽く
す献げものとしてささげなさい。」と言われた。
アブラハムの気持ちはどんな心境だったのだろうか。神はなぜ、アブラハムにここまで
させたのだろうか。それは、神はアブラハムの信仰が本気なのか、試したのだろうか。
「神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き薪を並べ息子イサクを
縛って祭壇の薪の上に載せた。「アブラハムが息子をほふろうとした時に、天から主の御使
いが「アブラハム、アブラハム、」と呼びかけた。神が2回同じ名前を呼ぶことは、あまり
ない。本当にここぞという時期、タイミングの時に2回呼びかけていることに気がつく。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、
今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを
惜しまなかった。」
神は、そのアブラハムの信仰を信じた時、息子の代わりにその雄羊を捕まえ、焼き尽くす
捧げものとしてささげたのである。アブラハムはその場所をヤ-ウェ・イルエ(主は備えて
くださる)と名付けたのである。
その信仰が創世記22章17節で示しているように、「あなたを豊かに祝福しあなたの子孫
を天の星のように、海辺の砂のように増やそうと約束なさったのである。」
あなたが、わたしの声に聞き従ったからである、と。
私も、ベエル・シェバ(アブラハムが住んだ地)に行ったことがあるが、神がアブラハムに
祝福してくださったように我々にもその祝福がいただけるのだと確信したのである。
それには、信仰によってしか、神との契約はなされないということ。信仰により義とされる
ことを確信した聖書の記事である。
どんな時代がきても、信仰以外神との契約はなされないのであると教えられました。
最後にこの御言葉を伝えたい。創世記22章14節「主の山に備えあり」と。
by D.T