インタビューシリーズ最後の登場は、前生徒会長の原義治君に話しを伺います!!
原君は前生徒会長でした。歴代の中でも有数の生徒会長だと個人的には思っているんですが…?
「そうですか?自分自身では好きな事というか、提案したことを実行しようと思ってやっていました。今まで以上に活発な生徒会に! という考えはありましたね。自分自身はあまり堅苦しいのは嫌いで、皆で盛り上がったり楽しくやるのが好きで、高校生活もやっぱり楽しくやりたいじゃないですか?」
私が凄く印象に残っているのは生徒総会でのさばき方、というか。凄く堂々としていて、生徒の質問や要望にも毅然と答えていましたよね。
「色々な要望に応えたい!!という思いが強くて、実は学校の承認を得ないで勝手に答えちゃった部分もあるんですよ(笑)。でも、基本的に最後に学校側と相談します!!って付け加えていたんで、問題なしです(笑)。」
「やっぱり3年に1回の学院祭が自分が会長をやっている時にあったことですかね。初めてだったし、過去の資料もあまりないのでホント手探り状態。なかなかうまく行かなくて、自分もストレスがたまっていた部分もあって、看板の片付ける場所が違う!!って怒鳴っちゃったこともあったりして。でも、やっぱりなんとか本番を終えて、色々な人に声をかけられたんですね。自分達は常に腕章をつけていたので役員だと分かったんだと思うんですが、いい学院祭ですね!なんて言われたりして。やったかいがあったというか、嬉しかったですね。本番でスタンプラリーをやって、最後にくじ引きをやるんですね。そこで事件が・・・」
どんな事件ですか?
「どんなに引いても空くじしか出ない!! 全然当たんない。だから盛り上がらないんです。だってティッシュしか出ないんですから。だからもう1回どうぞ!なんて言ってもやっぱり当たんない。だから、空くじを少なくしたんですね。そうしたら今度は少なくしすぎたのか、運が悪いのか、いいのか。すぐに1等賞が出ちゃったんですね」
ちなみに1等賞は?
「プレイステーション3でした。先に1等が出ちゃったんで、あとが盛り上がらない。なかなかうまくいきません(笑)。午後から来たお客さんで1等狙いの子供連れのおばちゃんがえらくがっかりして。なんでも加減が大切ですね(笑)」
なんで生徒会長をやろうと思ったの?
「はじめて言うんですが・・・。私、2年生の初めに大失敗をしてしまって。凄く自分自身落ち込んだんです。まあ、このまま終わったらダメだなって強く思って、みんなのタメになることというか人の役に立つ事をやって、先生方にも恩返しをしたい、という思いだったんです。自分は書道部と卓球部を掛け持ちしていましたが、これは自分自身のためにやっている事。だから、みんなの役に立つ事って何だろうかって考えたら生徒会長だったんです。これがすぐにでてきました。あいつは前はこうだったけど、終わり良ければ・・・じゃないけど、これからしっかりやらなくちゃって強く思っていました。」
生徒会長に書道部、そして卓球部。三足のワラジはきつかったのでは?
「そうですね。やっぱり時間配分が大変でした。でも自分自身、時間が有り余っているよりも忙しくしていた方が性に合っているというか、めちゃめちゃ充実していましたよ。この3つは自分自身の中でどれも一緒。全部100でやっていました。実は最初卓球部の小川先生に生徒会長をやりたいって言った時、反対されるかな、と思ったんですが、これがあっさりOK。卓球も続けるんだろう?やってみろって。やっぱり部の先生に反対されたらやれなかったと思います。書道部の奥村先生も応援してくれました。もちろん生徒会の阿部正恭先生も。皆さんの協力のおかげで、やり通すことが出来ました。」
卓球部での成績は?
「う~ん。あんまりそこは聞かないで・・・・(泣)。でも渡辺健吾君初め、強い奴が一杯いましたから。でも県大会や東北大会に連れて行って頂いたので(笑)、そこは感謝ですね。近所の人に卓球どうなの? なんて聞かれた時は、はい、東北大会に出場します!!って言ってました。嘘じゃないですもん!! でも最後にちゃんと応援団ですけどって言います。それでお互い笑って、コミュニケーションバッチリです!!」
もうひとつ、原君と言えば“書道”ですよね!!
「そうですね。小学校3年生の時の書道の先生の影響が大きかった。最初は結構ふざけて授業を受けていたりしたんですね。でも、先生がいつだったか思いっきり怒った。ちゃんと書けばお前はもっとうまく書けるんだからやってみろ!!って。何でだかわからないけど、その時自分は泣いちゃったんですね。先生の本気が伝わったんですかね。その時に、家の近くに書道教室があったら入れ!と言われて。それで父に書道をやりたいって言ったんですね。そうしたらありました。めちゃめちゃ家の近くに書道教室が。これも縁ですね~。」
それで書道教室に通ったわけですね。
「中学校の半ばまでその書道教室に通ったんですが、その先生が書道教室を閉めると。理由は先生の体調不良。自分はその先生を尊敬していて、もう習えないんだったら俺ももう書かないって思ったんです。実際高校1年まで書きませんでした。で、高校1年の夏、その先生が急逝してしまった。その時に先生の奥様から先生の作品をいくつか頂いたんです。これを見て、もう一回書かない?と言われたんです。それでもう1回書こう、書道をやろうって思ったんです。それからです。聖光の書道部に入ったのは。」
そこからいろいろ出品したんですね?
「はい。もう手あたりしだい。久しぶりに書いて楽しかったですね。高校の場合単なる書写ではなく、芸術書道なんですね。詳しく言うと時間がないので(笑)、とにかくオリジナリティをだせるんです。それまでとは違う書き方が出来るので楽しかったですね。」
先日福島県書初め展で大賞を受賞しましたね!! おめでとうございます!!
「ありがとうございます。高校時代最後の出展だったので、気合が入りましたね。気合が入りすぎたまま、締め切りになっちゃって、あんまり自信はなかったんですけど、結果的には大賞をとれたので最高ですね!! 朝、父が凄い勢いで2階に上がってきた!! 何事かって思ったら、お前見出しになってるぞって!! ビックリしました。」
原君は機械科で資格取得にも励んでいましたよね?
「そうですね。全国ジュニアマイスター顕彰でゴールドに到達しました。」
ホントですか?もう4足のワラジじゃないですか?
「そうなっちゃいますね(笑)。とにかくあれこれ手を出しすぎかな、と。でも中途半端は嫌いなので。やれば出来るもんですね。」
中学時代からそんなに努力家だったの?
「いや、全くです。中学校時代は部活もあんまり熱心じゃなかったし、勉強はビリから数えた方が全然早い(笑)」
何が原君をそう変えたの???
「自分が変わったのはこの聖光学院に入学してからです。自分でもよく分からないです。でも一つ言えることは、聖光学院の先生はみんな乗せ上手。何かに興味を示すとそこからどんどん攻めてくる(笑)。資格なんかはこのパターン。いいですねえ~なんて言ってると、もうハマっている(笑)。それに、サポートもちゃんとしてくれます。資格にしろ、部活にしろ、生徒をほったらかしにしないんですよ、聖光の先生は。生徒一人ひとりを認めてくれているんです。」
聖光学院が原君を変えた?? のですかね。原君にとって聖光学院はどんな存在ですか?
「難しい質問ですね・・・。そうですね、中学時代聖光学院のイメージは正直下の方の学校だって思っていました。またキリスト教主義の学校でしたから、馴染みが薄いし変な先入観もありました。でも、入ってみると、全然違う。キリスト教も勉強するとなかなか面白い。色々な話しを聴けるので、自分のタメになります。自分にとって数学と英語は大の苦手。象形文字にしか見えない(笑)。高校に入っても無理だって諦めてたんですね。でも、聖光では基礎の基礎から本当に丁寧に分かりやすく教えてくれる。こんな自分にも理解できたんですね。そして、部活動や生徒会活動、そして資格取得と本当に充実した日々を送ることが出来た。だから私にとっての聖光学院と言うのは、“コア”なんです。中心と言うか、核というか。とにかく、ないと成り立たないもの。それ位、自分の中では大きなものですね。」
それだけ原君はこの3年間で大きく成長したんですね。最後に、聖光学院の魅力、そして中学生の皆さんにメッセージをお願いします。
「魅力ですか。なかなか言葉にするのは難しいです。でも、入ったら分かります。絶対後悔しないと思います。聖光の先生はユーモアがあり、面倒見も凄くいい。いつも生徒をちゃんと見てくれています。私立で転勤もないし、ずっと恩師がそこにいる、これは魅力じゃないでしょうか。自分は中学校時代はっきり言って、頭もよくないし、もちろんやる気もなかった。ただ、高校に行ければいいやと、思っていました。でも、聖光に入って自分は変わることが出来た。そういった環境が聖光にはあります。聖光でこれをやりたいって思って入ってくる人はその能力をどんどん伸ばせますし、そうじゃない人も、乗せ上手な先生たちの手で、自分の潜在能力を引き出してくれる。聖光学院はそんな魅力的な学校ですよ。聖光に入った人は、一回りも、二回りも成長出来ると思います!!」
生徒会長に卓球部員、さらには資格取得(ジュニアマイスターゴールド)に書道(県No.1)。まさにスーパーマン的な大活躍の原君。そのバイタリティは凄いですね!! 原君の進路は二松学舎大学の中国文学科の書道専攻。その道を究めるべく、邁進して欲しいですね。聖光学院を原点に、今後の人生での活躍を期待します!!頑張って下さい!!