昨日本校ホームページに次のようなお便り(メール)が届きました。
先日、1/30(土)の東北本線(電車内)での出来事です。伊達駅発20:16の電車に運動部らしき当校の男子生徒さん2人が乗車してきました。私達、親子は仙台駅からの乗車中で通路を挟んでの席に2人の生徒さんは座りました。その席には見るからにわかるゴミが沢山ちらかってありました。そのゴミを生徒さんが自分のバックから袋を取り出し拾って福島駅で降りたそうです。その様子を娘が見てたようで「ママ、あのお兄ちゃん達ゴミを拾って降りたよ、凄いね、えらいね」と感動していました。
見ていた娘から話を聞いたのは、下車してからでした。スポーツバックにローマ字で聖光と書いてあったそうです。私も御礼をいいたい出来事でした。ありがとうございます。
本校生徒が、電車内でこのようなことを実践していることを、我々学校側も誇りに思います。また、このことに「感動」して頂き、わざわざ学校にお便りを下さった方に、心から御礼を申し上げます。
また、1週間前には次のようなお手紙が、野球部に届きました。
突然の手紙で失礼申し上げます。
わたくしが御無礼を省みずに、この手紙を書いているのは、貴校の生徒達からある感銘を受けた事です。それは、貴校前の道路をたまたま歩いていたある日の午後の事でした。野球部員の生徒と思われる3.4人ほどのメンバーから元気よく挨拶を受けましたが、その時は私のうしろを歩いている先輩にでも言っているのかななどと思っていると、次に次に来る野球部員の皆さんが、私に挨拶するのではありませんか。
ここで流石の鈍感の私でも気が付いた訳でございます。昔から武道は礼に始まり、礼に終わるなどと申しますが、野球にも相通じるものがあると思います。これからの聖光学院野球部の益々のご活躍と輝かしい未来と栄光を心よりお祈り申し上げます。
この手紙の差出人は「通行人」とだけありました。本来ならお手紙を頂いたことへのお返事をしなければならないところでしたが、この場を借りまして御礼を申し上げます。
我々教員は、例えば生徒が~大学に受かった! ~賞をとった! ~大会で優勝した! などのニュースは嬉しいものです。しかし、今回のような日常生活の中で、生徒の行動が世の中の人に「感動」を与えているという(新聞にもテレビにも出ない、そんな小さな出来事かも知れませんが)ことに、大きな喜びと誇り、そして「感動」を覚えるのです。
お便りを下さったお二人の方々、改めて、本当にありがとうございました。
今回、生徒が放った「光」。それは小さな小さな「光」かも知れません。でもその光、その小さな「聖なる光」が、世に放たれ、そしてその小さな光がその輪を広げていったとき時、世の中を照らす大きな大きな光となるのです。これは、「聖光」の名の通り、本校の基本精神でもあるのです。該当の生徒達、本当にありがとう!!